やっさん(6)
- 作・深尾澄子(ふかお・すみこ)
- 1941年生まれ、大阪府出身。府立今宮高卒。元大阪府池田市役所職員。2021年「ノースアジア大文学賞」大学生・一般短編小説の部最優秀賞。兵庫県川西市住。
- 絵・今井恒一(いまい・こういち)
- 1949年秋田市生まれ。秋田商高卒。秋田美術作家協会会員。同市住。
やっさんはそれでも毎回律儀に、レッスン会場までダイハツ・ミライースで文代を送迎した。すると、いやでもレッスン仲間の目につく。
「おやおや、クルマで会場に乗り入れでっか。豪儀なことで」と皮肉る男性がいた。ちなみに彼の愛車は、アウディのスポーツ車クワトロである。
かと思えば、「なんや、あんたの彼氏――」と言ったなり、ニヤニヤ憫笑する女性もいた。それは、文代の痛い所を突いていた。
この歳になれば、本人自身より連れている相手によって値打ちが決まる。根が見栄っ張りの文代は、やっさんと対に見られるのが、厭だった。二人並べば、どうしても売れない夫婦漫才のコンビ風になる。その滑稽なしょぼくれ感が、我慢ならなかった。
「お母さんって、よくよく男選びの趣味が悪いね」
やっさんを遠目に瞥見して、そう冷笑したのは娘の薫だった。当節はそういう女を〈だめんず・ウォーカー〉とか呼ぶらしい。
もはや文代は、彼を誰にも見られたくなかった。
ダンス教室では、しじゅうパーティーがあった。夕方の六時から始まり、八時に終わる。
「今日ママは遅いだがら、おめェはおらと一緒におるだよ。ええな」
そんなパーティの日、ハンドルを握りながらやっさんはポテトに言い聞かせる。
ポテトは車が好きで、いつも助手席の文代の膝の上におとなしく座り、窓外の風景をキョロキョロ眺めている。
二時間後にパーティーが果て、着替えを済ませた文代が会場から出てくると、駐車場の鈍い逆光の中に、ボオっと浮き上がる人影があった。パッと見、小学生くらいの子どもかと思ったが、それにしては体型のバランスがおかしい。よく目をこらすと、まぎれもなくポテトを抱いたやっさんだった。どうやら今まで、コンクリートの車止めに腰を下ろしていたが、文代の姿を認めて、突然立ち上がったようだった。
文代は、ぎょっとした。瞬間、冷水を頭から浴びせかけられたような気がした。というのも、人がこんな場所で二時間も待つとは考えられなかったからだ。
「まだおったの?」
覚えず、非難めいた口調になった。
「家さ帰(けえ)っても仕方ねし、それに二往復もするだとガソリン代さもバカになんねえだがら」
しかし、この距離なら普通は家に帰るだろう。なんならそのまま迎えに来なくてもいい。
「こんなところで二時間も、何してはったん?」
「ポテトをあちこち散歩させた後、ここでおめェの出てくるのを、じぃーっと待ってただ」
「ならせめて、建物に入って廊下からホールの中を覗いてはったらよかったのに」
「おらみでェえのが入えってったら、場違いだべ。おらァ、暗えところの方が気が楽だで」
けど、じぃーっと待たれるのもなあ、と文代は思う。
かといえば、外出して帰宅が遅くなった時のことだ。
携帯が鳴ったのはわかっていたが、電車の中だったので出なかった。すると、また鳴った。やっさんは、メールができない。仕方なく乗換駅のホームで「あと、三十分で家に着くから先に寝とって」と、電話した。
メジロが丘駅に到着すると、丘陵地の自宅までは全行程が坂である。特に、最後の百メートルは、胸突き八丁のカブト坂だ。
ヒイヒイ喘ぎながら登っていると、坂の上から黄色い丸い光の輪が落ちて来た。街灯ではない。誰かが上から懐中電灯で照らしているのだ。すでに、午後十時を過ぎている。周囲の住宅は固く戸を閉めて静まり、道路に人影は絶えている。
そこにポツンと立っていたのは、ポテトを連れたやっさんであった。すでに、パジャマに着替えていた。寝ようとしたが心配で寝つけず、わざわざ迎えに来たのであろう。どのくらいそこにそうしていたのか。待ち疲れたらしく、やっさんは半べそをかいていた。
ふいに、遠い記憶が呼び覚まされた。
小学生の文代は幼い弟を連れて、小さな木造の駅舎の前に小一時間も佇んでいた。
何台もの電車を空しく見送り、せつなさに泣きそうになった頃、頬を上気させた母が、両手いっぱいに買物荷物を下げて現れた。「待ったかい?」という母の声を聞くと、いつも鼻の奥がツンと痛くなったものだ……。
文代はいつしか、当時の母の立場と心境になっていたのだった。

(五)
人間には、馴化(じゅんか)という偉大な能力がある。趣味の合わない服も、着ているうちに慣れる。
共に暮らして数年経つうちに、文代は、彼の訛りをさして気にしなくなり、「違う」という尖った感覚も鈍麻し始めた。小競り合いは絶えなかったが、夫婦漫才コンビか弥次喜多道中さながらどこに行くにも一緒の二人は、いつしか睦まじいワン・カップルとして周囲から認識されるようになった。
そんな日々に暗雲の翳が射したのは、ある早春であった。裏のヒノキの森で、ウグイスの笹鳴きが盛んになった頃、やっさんはただならぬ倦怠感を訴え始めた。
何十年間静かに潜伏していた彼の病魔が、姿を現した最初の兆候だった。
たまたま文代は、白内障の手術のため、三日間入院していた。今までなら毎日見舞いに来て、要る物はないか、困ったことはないかなどと煩いほど聞くやっさんが、今回は一度も来ない。たかが白内障だからと楽観しているのかとも思ったが、どうも妙だ。
どうでもいい用事を作って、病院へ呼び寄せた。
やっさんはのっそり現れたが、表情に覇気がなく、動作も鈍い。
「ポテトは元気にしてるだから、心配するな」とだけ言って帰ってしまった。
文代の心に兆した漠とした不安は、的中した。
糖尿病の余病の一つである腎臓障害が起こっていたのだ。わずか三日で顔面が蒼膨れして、一回り大きくなった。食欲が落ち、二口、三口で箸を置きゴロリと横になったかと思うと、「寒い、寒い」を連発し瘧(おこり)に取りつかれたように震えだす。
たくさんの飲み薬が処方された。食後に自分で腹部に注射する薬液も出された。リビングの、やっさんの指定席周辺には、それらのものがゴロゴロ転がり、足の踏み場もなくなった。
どうなることかと案じたが、ほどなく身体が薬に馴染んで、症状が落ち着いてきた。
するとやっさんは、以前のようにポテトを連れて、登校の見守りボランティアに、イソイソと出かけて行った。胸にぶら下げたIDカードと、左腕の『安全見守り隊』の黄色い腕章が、誇らしげだった。
しかしこの度は、子ども達の団体が通り過ぎてしまうまで、四辻に立っていることができず、ブロック塀の低い所に腰を下ろしてしまう。
やっさんは、車の免許を返納した。
「これでホッとしただ。おめェを乗せて万一事故でも起こしてみろ。あのしっかり者のおめェの息子と娘に何いわれるだかと思うと、おら、生きた空もねがっただぞ」
また 同じ頃、思いつめたようにこう言った。
「おら、国さ帰るべと思うだ」
「なんで?」
「ここさにおるだと、おめェに迷惑をかけるだから」
しかし、この話はすぐ立ち消えになった。弟が他界してから親族の結束が弱まり、弟嫁が、こちらにはそういう病院がないからそちらで養生してくれ、と言ってきたからだ。
「おらホにゃあ、もう頼れる身寄りがいねぐなっただな」
やっさんは、悄然と肩を落とした。いくら田舎でも、透析病院がないとは思えないが、面倒を抱え込みたくない親族の気持ちもわかる。
「ここにおったらええやん。二人でなんとかやれるところまで頑張ってみようよ」
文代は、やっさんの背中をさすった。ゴツゴツした背骨の湾曲が、薄いパジャマの生地を通して掌に触れた。
いつしか、文代の中には、やっさんへの身内意識が芽生えていた。恋愛の対象にはなり得ないが、今や彼はポテト同様、仲間であり、相棒であり、そして家族なのだった。
身内とは、哀しいものだ。運動会の徒競走でビリを走る我が子を、拳を握りしめ、必死で応援する親心である。出世できないつれあいを、焦れながら慰める妻の心である。惚けた老親を泣き笑いで介護する子の心である。人生上り坂の時にはろくに眼中にないが、黄昏の時にふと気づくと傍らにいる、身内とはそんな存在である。彼らの欠点や愚かさまで、辛くいとおしいのだ。
やっさんのために、地域包括支援センターのケアマネジャーが定期訪問をするようになった。小木というコロコロに太った気のよさそうな中年女性である。関係諸機関との連絡調整をするという彼女は、早速、糖尿病の専門病院と、シニアカーのレンタル業者を紹介した。
ほどなくやっさんは週三日、人工透析を受けるようになった。
これは、病人の身体にかなり負担があった。やっさんは帰宅するや気息奄々として倒れ込み、しばしば激しい嘔吐の発作に見舞われた。
「オエッ!」が始まると、文代は慌てて洗面器を持ってきて、やっさんの顔の下に当てがった。病院で出される昼食を全部吐いてしまうまで、嘔吐は収まらなかった。
この病気で一番恐ろしいのは、空腹時に低血糖を起こすことだ。放置すると昏睡状態に陥り再起不能になる。透析が始まってしばしば、やっさんはこの発作を起こしかけた。