やっさん(2)

(2022年11月17日 付)
作・深尾澄子(ふかお・すみこ)
1941年生まれ、大阪府出身。府立今宮高卒。元大阪府池田市役所職員。2021年「ノースアジア大文学賞」大学生・一般短編小説の部最優秀賞。兵庫県川西市住。
絵・今井恒一(いまい・こういち)
1949年秋田市生まれ。秋田商高卒。秋田美術作家協会会員。同市住。

 トミ子は文代を連れて来たものの、毛色の変わったヤツだと思ったのか自分たちの仲間には入れようとはせず、仲良し数人だけでわざとらしく盛り上がっていた。

「初めてにしてはよかったよ。クセのない素直な歌い方や。練習したら上手になるわ」

 歌い終わった文代にたった一人、そう激励の言葉をかけてくれたのは、隣に座っていた小粋な老婦人だった。元・詩吟の師匠だとか。どうりで声が艶やかで張りがあり、挙措動作も垢抜けていた。念仏衆の中では、まさに鶏群の一鶴である。

 「よし、じゃあ本気で練習してやるか!」と、単純な文代は意気込んだ。その人に、また褒められたかったのだ。 

 グループの中に、白髪頭の小柄な男性が混じっていた。ニコニコしたおとなしい人で、休憩時間になると、イソイソと心得顔でアイスを配って歩いた。彼は毎回ちょっとしたオヤツを自腹で買ってきて、皆に供するとか。やっさんと呼ばれて親しまれていた。

 順番が廻ってくると、慣れた様子でマイクを握り、やや甲高いしわがれ声で歌い出した。

  ♪破れ単衣に三味線だけば

   よされよされと雪が降る――

 泥臭いが、せつせつとした情感がこもっている。彼らの中ではダントツの歌唱力だった。

「この『風雪ながれ旅』は、やっさんのオハコや」と、元・詩吟師匠は微笑みながら解説した。

 

 翌日、よろめきながらポテトを散歩させていると、遠慮がちな声がかかった。

「そのワンちゃん、なんぼ、めごいっきゃ」

 やっさんであった。ポテトを見つめて、満面に笑みを浮かべている。

 近くで見ると、白髪の下の渋紙色の顔は、能面の尉にそっくりだ。

「朝晩こないして散歩させてますねん」

 訛りが強すぎて、何を言っているのか聞き取れなかったが、少なくともポテトが褒められているらしいのはわかった。イヌを連れていると、見知らぬ人との会話の糸口になる。落語の『子褒め』ではないが、ほとんどの人がポテトを見て頬を緩め、「かわいいイヌですね」という。まんざらのお世辞とは思えない口吻で。

「んだば、そげなのをあずがると、てえへんでねえだか」

 文代は返事に窮した。

「はあっ? このコは預かっているんやのうて、飼うてるんですが」

「いんや、だがらその……」

 やっさんは口をモゴモゴさせていたが、にわかに話柄を変えた。

「この坂はいつも息切れするだな」

 たった今自分が登ってきた急坂を、顎で示す。両手がスーパーのレジ袋で塞がっているためだ。土地の人がカブト坂と呼ぶその坂は、近辺で一番の難所であった。

「そうですね。私もこの坂は苦手です」

 ただの挨拶であれば、ここで終わる。

 ところが、

「あんだ、買い物さ困ってねえだか」

 突然そう切り出されて、文代はたじろいだ。彼はさらに、カラオケ仲間に聞いたが、という意味のことをボソボソ続けた。はにかみの表情と強い東北訛りが、文代の警戒心を緩めた。

「ええ、まあ体調が悪いよって難儀してはいますが……」

「ンだば――」

 やっさんは、オズオズと文代の方に一歩近づいた。

「おらが買ってきてやってもいんだ。今日はこなに歩ぐだども、車さもあるだし、どうせいつもここさ通るだで」

 (お心遣いありがとう。でも、なんとかやっていけるので大丈夫です)

 本当はそう言いたかった。だが、こんな有難い申し出を簡単に断れる状況ではないことも重々承知している。言い淀んでいると、彼はさらに押してきた。

「なァに、ついでだで」

 気弱そうに眼をしばたたかせる。頭髪は真っ白なのに、フサフサした黒いまつ毛が、東北の農家で藁を食んでいるベコ(牛)を思わせた。

 後日その時のことを思い出すと、文代は微苦笑を漏らさずにはいられない。買い物に行ってやる、ポテトの散歩も引き受けてやると言いながら、ボランティアを申し出た側が、次第に(頼むからさせて下さい)みたいな哀願の口調になっていったからだ。

挿し絵

 そこまで言われれば、ただの親切心だけではないことに気づかないわけにはいかない。しかし、あまり懇意にしたい相手でもなかったので、勢い曖昧な返事になった。

 ちなみに、飼うことを、〈あずがる〉というのは、彼の在所の南部弁であることを、文代は後に知るのである。

 

(二)

 

 以来やっさんは、カラオケ・グループに来るたびに、チラチラと文代の方に視線を投げてくるようになった。見返すと、眩しそうに目をそらす。その不器用な反応が、まるきり田舎の中学生そのもので、文代は思わず鼻白んだ。

 ある日、玄関のチャイムが鳴った。出てみるとトミ子だった。後ろに隠れるようにして、小柄なやっさんが立っていた。

 「あのう――」彼は口ごもりつつ「これ、おらホ(自分の里)から送ってきたリンゴと餅だども、食ってけれ」と、重そうな紙袋を差し出した。その時、リンゴの〈ンゴ〉の発音が、フランス語風の完璧な鼻濁音であることに気づき、文代は驚いた。

「私も、もろたで」

 トミ子が言った。それで合点がいった。やっさんは、一人で文代の家のチャイムを鳴らすのに気後れがして、トミ子につき合ってもらったのだろう。

 礼を言って受け取ると数日後、今度はいきなりダイハツのミライースを、意気揚々と彼女の家の前に乗り付けた。

「四つ葉さ買い物に行かねえだか」

 四つ葉というのは、駅前の大手スーパーの名前だ。

「えっ!」

 文代は、車の樺色のボディがピカピカなのに気づき、呆気に取られた。

「あんだば乗せるべえとして」

 と、照れる。なんでも、ガタがきていた古い乗用車を処分して、(燃費のいい)軽に乗り替えたのだとか。

 スーパーの駐車場に車を停めると、やっさんは階段を一段おきに駆け上がって踊り場に立ち、エスカレーターで上がって来る文代に向かって、ヒラヒラと手を振った。

 買い物を終えると、後ろから来てサッと文代の荷物をひったくる。

 「自分のモノは自分で持つから」と遠慮する文代を、「黙っとけって!」と一喝する。

 時によると、レジで文代の分まで支払いを済ませてしまう。精算しようとしても「ええだがら!」と、頑として受け取らない。

 こういう意味の解らぬ親切は、気味が悪い。気前のいいところを見せたいのなら、逆効果だ。こんな男にも人並みの下心があるとしたら、早々とお返しをしておかねば後が面倒だ。しかし、手数料を払わせてくれ、などと言えば機嫌を損ねるだろう。

 文代は、一計を案じた。

「今度、うちで海鮮鍋するから、来はりませんか」

 すると、彼はパッと顔を輝かせた。その幼児のような素直な反応を見て、いらぬことを考え過ぎだったか、と思った。が、一対一はまずい。トミ子に声をかけようとしたが、引っかかるものがある。結局、旧友のカツ子に事情を話し、同席してもらうことにした。

「あらァ、優しそうな方!」

 カツ子は、やっさんを一瞥するなり、わざとらしくはしゃいだ声を出した。

 (見くびったな)文代はピンときた。このタイミングで優しそうは、誉め言葉ではない。不運と無知ゆえに苦渋の人生を背負わされながら、いじけるでもなく、朴訥な人懐こさを漂わせている、そんなやっさんの風貌を見て、たぶんカツ子はよくよく言葉に窮したのだろう。

「カラオケ、お上手だと聞いていますよ。どんな歌がお好きですか」

 土鍋から春雨をすくいあげていた手を止めて、やっさんは邪気のない笑いを浮かべた。

「ま、ド演歌だな」

「ほう、それはそれは。今度ぜひお聴きしたいですわ」

 如才なく持ち上げる。

「そのうち、三人でカラオケさ行くべえ」

 やっさんは、カツ子のお世辞を鵜呑みにして上機嫌だった。

「あ、私としたことが、ビールお勧めするの忘れてたわ。ふうちゃん、グラス持ってきて」

「ほんにそうやった! ごめんなさいね」

 二人が争ってビールを勧めようとすると、やっさんはグラスを伏せて顔を赤らめた。

「おらァ、酒ば飲まねし」

「なんで?」

 二人は、同時にやっさんの顔を覗き込む。

「糖尿だし。血糖値あがるべし……」

「一滴も?」

「ンだ。おっかあ(妻)を亡ぐしてからは一滴も」

 ふうむ、と二人は思わず顔を見合わせた。