
日本海中部地震40年:識者の視点(下)想定疑い、率先避難者に 東大大学院・片…
災害は、時に想定を超える規模や形で発生する。その時、いかに行動できるかが、自分と大切な人の命を守る鍵になる。東日本大震災以前に岩手県釜石市で継続的な防災教育を展開し、中学生らの率先避難につなげた東大…
1983(昭和58)年5月26日午前11時59分、秋田・青森両県の西方沖約100キロを震源に発生したマグニチュード7.7の逆断層型地震。当時の震度表示で秋田市と青森県むつ市、深浦町で震度5を記録。揺れは中国地方でも観測された。本県沿岸に津波が押し寄せ、峰浜村(現八峰町)では高さ14メートルに到達。死者は北海道、青森、秋田3道県で計104人。県内では死者83人中、79人が津波で亡くなった。広範囲で地盤の液状化現象が起き、港湾や道路、鉄道などのインフラ、電気、ガス、水道などのライフラインも壊滅状態となった。県内の住宅被害は全壊1132棟、半壊2632棟、一部損壊2875棟。被害総額は1482億円。(2023年5月23日)
災害は、時に想定を超える規模や形で発生する。その時、いかに行動できるかが、自分と大切な人の命を守る鍵になる。東日本大震災以前に岩手県釜石市で継続的な防災教育を展開し、中学生らの率先避難につなげた東大…
日本海中部地震は、津波到達までの早さ、広範囲の液状化などで災害史に刻まれる出来事だった。過去の国内外の災害を主に研究している秋田大地域防災減災総合研究センターの水田敏彦教授(54)=地震工学=に、地…
地震と津波は、いつか再びやってくる。「その時」に備え、私たちはどんな準備をすればいいのか。地域住民や児童生徒の防災力向上を目指し、各地で「防災キャンプ」を展開している日本赤十字秋田短大介護福祉学科の…
日本海中部地震の犠牲者をしのび、発生日の5月26日に献花式が開かれた能代市の能代港近く。慰霊碑の向こうに広がる日本海は穏やかで、40年前のこの日に津波で多くの犠牲者が出たとは想像がつかなかった。
日本海中部地震では秋田県沿岸部の交通網が寸断され、被災地へ支援物資が届けられた。当時、日本赤十字社県支部の入社3年目の職員だった碇谷壽朗さん(64)=秋田市楢山=は、発生直後から支援物資の輸送に奔走…
「災害はいつ、どこで起きるか分からない。だからこそ被害を軽減し、速やかな復旧につなげるためにも、避難場所の確認といった備えをしておく必要がある」。元秋田県警警察官で県防災アドバイザーの渡部健悦さん(…
一見して強固な地盤が、地震の揺れで崩壊する液状化現象。日本海中部地震では秋田県沿岸の広範囲で発生し、住宅やインフラ、農業に大きな被害を与えた。秋田高専名誉教授の伊藤驍(たけし)さん(82)=地盤工学…
長男が生まれて7年後に授かった待望の女の子はよく笑う子だった。同じ集落に住む実母はどんな相談にも的確に道筋を示してくれる頼れる存在った。あの日、三種町の牧野帝子さん(72)は2人を同時に失った
1983年の日本海中部地震から40年となった26日、津波で甚大な被害が出た男鹿市や能代市では、遺族らが犠牲者を追悼した。各地では防災訓練も行われ、災害への備えを新たにした。
秋田県能代市の能代港では40年前、東北電力能代火力発電所の用地造成などの工事に従事していた作業員らが津波にのまれ、36人が犠牲となった。当時、現場監督をしていた三種町鵜川の田村雅義さん(72)も津波…
秋田県男鹿市戸賀加茂青砂の日本海中部地震「津波殉難の碑」前で26日に営まれる慰霊の会で、本紙読者文芸欄(2月9日付)に載った松岡正樹さん(87)=現在秋田市住=の短歌〈慰霊碑の先に広がる加茂の沖悲し…
40年前のきょう5月26日、本県に甚大な被害をもたらした日本海中部地震が発生した。秋田魁新報には、発生直後から地震を題材とした短歌の投稿が相次いだ。被害の実相を刻み、心を寄せる震災詠は、年月を経た後…
日本海中部地震から40年を迎えた26日、各地で追悼行事や防災訓練が行われた。津波により36人が犠牲となった秋田県能代市では能代港近くの慰霊碑で献花式が行われ、遺族や斉藤滋宣市長ら約60人が正午の時報…
本県で83人が犠牲となった日本海中部地震から、きょうで40年となった。惨事を風化させず、教訓にしていくことが重要だ。「県民防災の日」を機に災害への備えを改めて確認し、非常時には命を守るため即座に「逃…
きょう26日は「県民防災の日」。災害時には「自助」「共助」「公助」が求められる。とりわけ高齢者や障害者など「災害弱者」が逃げ遅れないようにするためには、住民同士の助け合いが重要。自治会や企業の取り組…