「テレビ・ラジオ番組」に関する記事一覧です。
秋田ケーブルテレビ(秋田市、CNA)が制作した「明日を照らす希望の光~日本の花火、花火師そして大曲の矜持(きょうじ)」が、「第47回日本ケーブルテレビ大賞番組アワード」のコンペティション部門で審査員…
番組は平日夕方の5分間。オンエアの1時間ほど前にラジオ局へやって来て、毎回その場で原稿を書き上げた。
全国花火競技大会(大曲の花火)が2年連続で延期となった地元に元気を届けようと、秋田県大仙市の雄物川河川敷で20日夜、サプライズとなる「エール花火」が打ち上げられた。市内の5煙火業者が参加。20分間に…
おかげさまで新刊「シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録」(文芸春秋)を話題にしてくださるメディアが多くて、ラジオ番組からも呼んでいただく機会が増えた。
佐竹敬久知事は14日、東京五輪について「現地での観戦には相当なリスクがある。できる限り、自宅でのテレビ観戦をお願いする」と県民に呼び掛けた。宮城県で行われるサッカーなどが、観客を入れて開催される方針…
先月13日、福島県沖で発生した地震は東日本大震災を思い起こす揺れだった。宮城県亘理町は震度6弱を観測。町内は一部地域で停電が生じ、民家にはドアが閉まらなくなる被害も出た。
昨年暮れ、ツイッターでこんなメッセージを見つけた。
昭和30年代後半、秋田放送の民謡テレビ番組で太鼓を打つことになって練習を始めたが、それまで唄(うた)一本でやってきた俺にはやっぱり難しかった。
20代の頃からお世話になった人として、尺八奏者の鎌田筧水(けんすい)さんも忘れられない存在だ。俺にテレビ出演の道を開いてくれた人だから。筧水さんがいなかったら、その後の俺はなかったかもしれない。
子供の頃からドキュメンタリー番組をよく見てきた。「動植物の記録や、宇宙や深海の目を見張るような光景、あるいは旅の記録」に夢中になってきた。自然科学分野の本もたくさん読み、知識を増やすことで番組をより…
「はい、じゃあ音出していきまーす」
平成5(1993)年7月、テレビの旅番組のロケで北海道・奥尻島を初めて訪れ、10日間滞在しました。僕が海に潜り、島民と触れ合う様子をNHKのカメラマンが撮影するということでね。
「夢であってほしい」
現在も出演しているテレビ番組にNHK秋田放送局の「秋田弁de川柳」があります。始めてから10年。今は夕方「ニュースこまち」の一コーナーとして隔週火曜日に放送しています。
好奇心旺盛で仕事のお呼びが掛かれば、よほどのことがない限り引き受け、出掛けて行きました。役に立たないのに、首を突っ込みたがる人を「くされたまぐら」と言いますが、まあ、当たらずとも遠からずということに…
和光薬品を定年退職した翌年の平成6(1994)年は、おかげさまでいろいろと仕事を依頼されましてね。ラジオ・テレビへの出演や本の出版に加え、私にとって最長の連載も始まりました。「TSR情報秋田県版」と…
私にとって大変有意義な仕事となった番組は、NHK秋田放送局の「ホッとなるあきた」でした。「NHKニュース」が始まる正午までの昼番組でしてね。平成6(1994)年4月から、県内各地をビデオカメラを持っ…
パーソナリティーを依頼されたABS秋田放送のラジオの新番組は「花の中年隊」といいました。毎週日曜日夕方の55分番組で、平成5(1993)年11月にスタート。会社社長、寺の住職、弁護士、医者ら5人がレ…
和光薬品の支店長としてまだ横手にいる時だったと思います。55歳で定年となるが、もう5年ぐらい働く気はないかと雇用の延長を打診されました。でも腹は決まっていました。
平凡出版に入社して本屋回りを経験し、営業のいろはを学び始めました。それから1年もたたないうちに、今度は芸能ニュース番組の制作ディレクターをやれと言われました。ディレクターというのは聞こえはいいのです…