
時代を語る・吹浦忠正(2)土崎空襲、米国嫌いに
昭和16(1941)年3月17日、秋田市で生まれました。異母きょうだいで、私は6人の中の末っ子です。上の4人を産んだ母親は早くに亡くなったんです。私とすぐ上の兄は、おやじ(忠治)が再婚したタエとの間…
「土崎空襲」に関するニュース一覧です。
昭和16(1941)年3月17日、秋田市で生まれました。異母きょうだいで、私は6人の中の末っ子です。上の4人を産んだ母親は早くに亡くなったんです。私とすぐ上の兄は、おやじ(忠治)が再婚したタエとの間…
終戦があと1、2週間遅ければ現在のJR秋田駅、土崎駅に近い秋田市の市街地2地点が爆撃を受けていた可能性がある―。太平洋戦争末期の米軍の戦闘計画書などから、そんなことが明らかになった。10日付本紙の記…
太平洋戦争末期、米軍が秋田市の中心市街地への爆撃を計画していたことが、日本の都市空襲を研究している工藤洋三さん(72)=山口県周南市=の調査で分かった。工藤さんは「終戦があと1、2週間遅ければ、計画…
終戦前夜の土崎空襲を題材にした紙芝居「しずちゃんが見た戦争」の読み聞かせが2日、男鹿市の男鹿市民ふれあいプラザ「ハートピア」で開かれた。作品の主人公「しずちゃん」のモデルとなった高橋静さん(90)=…
ロシアによるウクライナ侵攻が始まって約半年。惨状が繰り返し伝えられ、疑問や不安を抱える子どもも少なくない。学校では学習指導要領に基づき、過去の戦争について学びながら平和に関する意識の醸成を促している…
「戦争を学ぶ、そのこと自体に意義があると思っている」。秋田大教育文化学部4年の丹波望さん(23)は、中学校社会科での戦争学習をテーマに卒業研究に取り組む。
「絶対内緒だよ」。子どもの頃に友達とたわいない話を秘密として共有した経験がないだろうか。名古屋市の詩人おのゆういちさんが1998年に刊行した詩集「僕は子どもの頃鳥だった」はそんな秘密から題名を得てい…
77年前の終戦前夜、秋田市土崎地区を襲った土崎空襲で犠牲になった人々を悼む犠牲者追悼平和祈念式典が14日、土崎港のセリオンプラザで開かれた。出席した遺族や地域住民ら約130人が犠牲者を悼み、平和への…
ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、終戦から77年を迎える。国同士の争いが命を奪い、人々の暮らしを翻弄(ほんろう)する光景が、今も変わらずに繰り広げられている。過去と現在、それぞれの戦禍を体験した人…
秋田市の「土崎みなと歴史伝承館」が、オープンから4年3カ月で入館者10万人を突破した。「土崎神明社祭の曳山(ひきやま)行事(土崎港曳山まつり)」「土崎空襲」「北前船」など土崎地区の歴史や文化を常設展…
土崎空襲があった昭和20(1945)年8月14日夜。たたき起こされると、防空頭巾をかぶり、その上からさらに子ども用の布団をかぶって外に出ました。母は生後8カ月の弟をおぶっていました。
土崎港町(現秋田市土崎港)の土崎第一尋常高等小学校(現土崎小学校)の教師だった父飛雄太郎と、母キクの長男として生まれました。その後生まれたのも男ばかり5人。一番下の弟は12歳離れています。2番目と4…
太平洋戦争開戦から8日で80年を迎えた。戦時中、学生を軍用機の製造や農作業に従事させた学徒勤労動員。群馬県の工場で戦闘機の製造に携わり、その後、東京大空襲や土崎空襲も経験した能代市の女性(93)に、…
終戦から76年。子どもたちが戦争と平和を考える上で、学校教育の重要性が増している。かつてのように祖父母ら身近な人から戦争体験を聞き取ることが難しくなっているためだ。国民の多くが戦争を知らない世代とな…
終戦前夜に秋田市土崎地区を襲った「土崎空襲」の証言を通じ、戦争と平和について考える授業が14日、男鹿市の脇本第一小学校で行われた。元小学校教諭の渡部恵子さん(63)=男鹿市船越=が、6年生の児童に土…
兵士の訓練の様子や、「勉強どころではなかった」という学校生活。空襲に遭い、防空壕(ごう)の入り口のすぐそばに落ちてきた爆弾―。秋田市飯島の奥山キヨミさん(94)は、戦中の出来事を今でも鮮明に覚えてい…