時代を語る・成田光弘(33)父の言葉で引退決意

連載:時代を語る・成田光弘
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昭和49年の春季キャンプで(右)。阪急のユニホームを着る最後の機会となった
昭和49年の春季キャンプで(右)。阪急のユニホームを着る最後の機会となった

 昭和48(1973)年のシーズンオフ、阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)に退団を申し出ました。球団からは慰留されました。阪急を去り49年に近鉄バファローズ(現オリックス)を率いることが決まっていた西本幸雄監督(故人)は「(近鉄に)付いてくるか」と誘ってくれました。それでも鷹巣町(現北秋田市)に戻る決意を変えませんでした。

 決め手は48年のシーズン終了後、父から「そっちにいてもいいぞ。田畑は何とかする」と言われたことです。冷静な話しぶりに、今後の人生を考える局面なのだと感じました。いつもの「早く戻ってこい」という言葉と逆のことを言われ、「ああ、帰らなければいけないなあ」という思いが込み上げました。

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