昭和44(1969)年頃、阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の西本幸雄監督(故人)に呼ばれて、「そろそろ育てるほうを手伝ってくれんか」と言われました。「コーチ補佐や。いい頃合いやろ。あいつを頼むわ」と。「あいつ」とは4歳年下のキャッチャー、中沢伸二君でした。
〈中沢さんは山梨県出身。甲府工業高校から40年阪急入団。60年まで1359試合に出場し生涯打率2割2分5厘。右投げ右打ち。ベストナイン2度受賞など〉
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