高橋幸宏さんは「粋でストイックな師」 仙北市在住の編曲家・菅原弘明さんが追悼文
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1985年12月。アマチュアバンドでキーボードと作編曲をしていた私は、まるで開かずの金庫のダイヤル鍵が揃(そろ)うように縁が繋(つな)がり、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のエンジニアだった小池光夫さんの紹介で高橋幸宏さんのオフィス・インテンツィオに入った。
すぐにアルバム「Only When I Laugh」のレコーディングが始まった。私はシンセサイザーマニピュレーターとして無我夢中で音を作り、ドラムやベースのシーケンスデータ(自動演奏データ)を打ち込んだ。現場のやりとりは口述筆記に似ていて、「ワン、ツー、ドスタララタドン」というように幸宏さんの頭の中で鳴っている音を声で指示される。コードは幸宏さんが押さえているプロフェット5(シンセサイザー)を見て、その音を数値でシーケンサー(自動演奏装置)に入力する。音楽が組み上がっていく過程に深く関わり、とても楽しかったことを思い出す。
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