時代を語る・吹浦忠正(3)毎日眺めた世界地図
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戦後の自宅は今の秋田市中通3丁目辺りにありました。秋田大学付属小学校には病気で入学試験が受けられなくて1年遅れて入りました。当時は同じような人が結構いました。
母タエはアララギ派の歌人。教育を大事にする人でね。戦争が始まった時には半紙3千枚を買い込んで来たんですよ。私は小学校に入ってもその半紙を勉強に使っていました。母は「勉強しろ」とは言わない。常に鉛筆を8本削って、筆入れに入れておいてくれる人でした。やっぱり一番愛情を感じましたよ。
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