中宮様がお産のため、大進生昌(だいじんなりまさ)の家に。詩人・最果タヒさんの連載「きょうの枕草子」③

第3回は「第八段 大進生昌が家に」より。清少納言が仕えた、一条天皇の后である中宮定子のお産の準備のため、身分の低い平生昌邸入りする場面から始まります。それにしてもなぜ生昌の家に?

最果タヒ「きょうの枕草子」③
清少納言「枕草子」
現代語訳:最果タヒ
絵:矢野恵司


【第八段】

●現代語訳

 大進生昌(だいじんなりまさ)の家に、中宮様(*)がお産のためにいらっしゃることになって、生昌は東の門を四つ足の門にちゃんと改造して、そこから中宮様のお車をお入れした。女房の車も、通用門である北の門から、まだ門番もいない時間だったし今のうちに入っちゃいましょうと、髪が適当なことになっている人もいたけどあまり整えずに、「どうせ縁にピッタリとつけて降りるのだから」と油断して向かったら、立派なびろうげの車では通れないくらい門が小さい。車のままでは入れないからと、いつもの筵(むしろ)をひいて下りたが、人に見せるような格好をしていないのに丸見えで本当に嫌だったが避けようがなかった。殿上人もそうじゃない人も色々来ていたからみんなに見られたし、ほんとにありえない。
 宮様にこの話をしたら「どこでだって人は見てますよ。どうして油断なんてしちゃったの?」とお笑いになった。
「そうですけど、私たちのちゃんとしてないところなんて周りのみんなは見慣れていますし、急に気合の入った格好をしたらむしろ驚いてしまう人もいるでしょう? にしたって中宮様がいらっしゃるような家ですのに、車が入らないなんて信じられない。生昌がきたら笑ってやらなきゃ」
 とかなんとか言っていたらちょうど「こちらをぜひお召し上がりください」と硯(すずり)箱の蓋に菓子を持って差し入れてきた。
「タイミングまで悪いのね? あなた、なんであんなに小さな門にしちゃったの?」
 と言うと笑って、
「家の程と身の程をわきまえて作りましたので」
 と答える。
「そうは言うけど、門だけ大きく作った人だっているのよ?」
 と子孫が出世することを見越して門を大きくした昔の人のことを言うと驚いて、
「おお、よくご存知で。于定国(うていこく)のことをおっしゃっているのですよね、今の人だとよく学んでいる人でもなかなかそれは気付けないですよ。私は偶然にも学問の道を選びましたから、なんとかぎりぎりそのへんならわかりますけれど」
「そうなんですか? でもそのあなたの道も自慢できるものなのかしら。筵(むしろ)を敷いたはいいものの歩いたみんながくぼみにはまって大変だったんだから……」
「雨が降りましたからねぇ……。なるほど、なるほど。私がおりますと、どうも空気が悪くなりそうですから、一旦下がらせていただきますね」
 と言って去っていった。
「どうしたの。生昌がだいぶ怖がっていたじゃない」
 と宮様がおっしゃる。
「そんな。車が入らなかったことを言っただけですよ」
 と答えて、部屋に下がった。

 その夜は眠くて眠くて、深く考えずに、同室の若い女房たちとぐっすり眠ってしまった。東の対屋の、西側の部屋で、北側の板障子は鍵もなかった。生昌は家の主人だからそのことをよく知っていて、夜にそこを開けて、変にうわずった声で「おじゃましてもよいですか?」と尋ねる。
 何度も何度も繰り返して聞いてくるから、目を覚まして見ると、目隠しのために立てておいた几帳の後ろから、燈台の光がよく見える。障子を15センチくらい開けて、生昌がいるのだ。なんだかおもしろくなってしまった。生昌ってそういう色っぽいことする人だとは聞かなかったけど、宮様が来てくださったというのもあって、ちょっとテンションが上がってしまったのかな。
 そばで寝ている女房を起こして、
「ねえ、ちょっと。見てよあれ。変な人」
 と言うと、女房も笑い出す。
「どなたです? もうちょっと控えめにできませんか?」
 と女房が言うと、
「恐縮でございます。この家の主人としてご相談したいことがありまして」
「門のことは色々言いましたけどね、障子を開けてとは言いませんでしたよ」
「なるほど……そのことについてもお話ししたいですねぇ。お邪魔しても良いでしょうか? あの……お邪魔しても……」
「もう、諦めが悪いんだから。よくないですよ」
 と、女房たちが笑う。
「ああ、若い方たちもおられるんですね……」
 と障子を閉めて去って行ったものだから、みんなでそのあと散々笑った。開けたなら入ればいいのに、いいですかってわざわざ聞いて許可をもらおうとする男の人に、いいですよなんて言えませんよ。ほんと変な人。
 朝になって宮様にこのことをお話ししたら
「そんなことする人だとは聞かないけれど、きっと、よっぽどあなたに感心したのよ。それで? どうせまた厳しいことを言ったんでしょう。もう、かわいそうなことをして……」
 とお笑いになる。
 宮様が、姫宮様の御付きの童女の装束を作るように生昌にお命じになったけれど、
「では、あこめの上っ張りの色はいかがいたしましょう。」
 とか、あこめの上に羽織るのは「かざみ」なんだから、かざみっていえばいいのに、あこめの上っ張りだなんて回りくどい言い方をいちいち仰々しくするのでみんな笑うし、そりゃ笑うでしょうねって私も思う。
「姫宮様のお食事の道具は、普通の大きさのものを使うのはあんまりよくないでしょうから、小さなお膳と小さめの食器にいたしましょう」
 なんて言うから、
「そうですね、上っ張りを着た子たちもきっとその方が運びやすいですね」
 と言ったら
「そんなふうに言わないの。まじめにしてくれてるんじゃない」
 と宮様はお優しい。

 特に何かあるような頃合いでもない時に、
「生昌さまが、お話がしたいそうです」と伝えられて、宮様も「まだからかわれたいのかしら。行っておいで」とおっしゃるので向かったが、
「あの夜の門の話を兄の中納言にしましたところ、あなたのことを大したものだとおっしゃっておいでなのです。いつかお会いして直接お話がしたいものですとおっしゃられたんですよ」
 と、大した用もなかったみたい。というより、なんなら、あの夜の障子の話を聞いてあげようかしら? と思ったけど、生昌は「また今度、お部屋に伺いますので」とさっさと去ってしまった。
 宮様が「何の話だったの?」とお尋ねになるのでお伝えした。
「わざわざ呼び出しておいてそれなのね? あなたが局に下がっている時とか、端近(はしぢか)にいる時とか、タイミングが合う時にさらっと言えばいいのにね」
 と女房が笑うと、
「自分がとっても尊敬している人が、あなたを褒めたから、あなたもきっと喜ぶはずだって思ったのよ。あの人」
 と宮様はおっしゃった。忘れられない。


*中宮様=清少納言が女房として仕える藤原定子。999年、一条天皇との2人目の子(第一皇子)を懐妊していたが、自身の娘(=藤原彰子、紫式部が仕えた)を帝に入内させたい藤原道長の圧力により、出産準備のために身分の低い平生昌邸入りとなった。後ろ盾だった関白の父・藤原道隆は他界、兄・伊周(これちか)は道長との権力争いで失脚、実家も焼失という不遇の身だった。翌1000年、彰子が后の最高位「中宮」の座を与えられ、定子は「皇后」と呼ばれることとなる。史上初めてお后が2人いる「一帝二后」が成立。定子は同年の暮れに3人目を出産後、この世を去る。


【さいはて・たひ】詩人。最新詩集に『さっきまでは薔薇だったぼく』、『グッドモーニング』で中原中也賞、『死んでしまう系のぼくらに』で現代詩花椿賞、『夜空はいつでも最高密度の青色だ』は映画化された。『千年後の百人一首』で百首の現代語訳で注目され、エッセイ集に『百人一首という感情』。小説・エッセイ多数。


【やの・けいじ】イラストレーター。東京芸術大学彫刻科卒業、同大学院美術解剖学研究室修了。任天堂でデザイナーとして勤務後、イラストレーターに。主な仕事に、資生堂プロモーションDM、中村佳穂シングルジャケット、劇団ロロのチラシビジュアル、三井のリハウスの広告イラストなど。

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