秋田で、出版で、食ってみせるぞ。安倍甲(あんばいこう)さん「無明舎出版」代表

連載:第39号 Nov 2022

1972年9月、秋田大学前に看板を掲げ一人の学生が始めた「無明舎出版」が世に出した本はおよそ1200冊。孤軍奮闘の50年を経た現在の境地を伺います。


写真:藤田一浩


花言葉なき薬


 この10年は特にキツかったな。東日本大震災のあった2011年以来。東北各地からの出版依頼も減り、孤立無援で、いくら努力しても秋田では誰かが褒めてくれるわけでもない、一体何をやっているんだ、という自問自答ばかりで。そんな時、梓出版文化賞を1票差で落選したというファクスが送られてきました。東京の出版社の知人から「残念でしたね」というメッセージとともに。この落選で、ずっと見てくれている人がいるんだと、一挙に力を吹き返したんです。見放されているわけじゃないんだと。次の年の2018年には特別賞をいただきました。その頃には「まあ当然だよな」と傲慢さが戻って(笑)。

 今年創業50年になって、山の友が句を贈ってくれました。山では、植物を見つけては、これは腰痛に効く葉だね、これは滋養強壮の花だよね、とか。

 
五十年 花言葉なき 薬掘る
          穂村類


 これ、俺の句だ、と思いました。僕らが出す本はほとんど誰も知らない、著者も有名じゃない、それを「花言葉なき薬」と。読んで涙が流れました。

小心者の哲学


 学生時代にいきなり出版社を始めたわけです。万年社長だし、万年素人。弘前に津軽書房、福岡に葦書房という地方の両横綱のような出版社があって、しょっちゅう連絡を取り、会いに行って勉強させてもらいました。作家との付き合い方から活版印刷でどうページを作るかまで。津軽書房の高橋彰一さんは長部日出雄著『津軽世去れ節』(1972年)で直木賞を出し、葦書房の久本三多さんは山本作兵衛著『筑豊炭鉱絵巻』(1973年)が話題になったり、石牟礼道子さんを手厚く支援したりしていました。でも、ああ、この二人みたいになればすぐ潰れるなって。あまりにめちゃくちゃで(笑)。

 真似できるところとできないところを見極めて。経理には無頓着なほうですが、近所にいい税理士さんがいて、1980年から一緒にやっています。そういう出会いだけです。

 母親がほとんど家から外に出ない女性でした。血を受け継いでいるなと思う。挑戦してみたいけれど、ここから踏み出したら取り返しのつかないことになる、みんなに給料を払えなくなるなという抑止力が働きます。大冊を出して、借金とか大変でしょうという人もいるけど、これくらい売れれば採算が取れるという試算の上でやっていることであって。ベストセラーはほとんどないです。これは長所でもあり短所。ベストセラーというのは地方出版にとってはヒョイと出るほど甘いものじゃない。流通の問題もあるし、広告宣伝費もかかる。成り行きでいただいた仕事を大切にして、その都度こう処理すれば大きな損は出さなくて済む、という小心者の哲学があります。

出版で食べていく矜恃(きょうじ)


 大手取次会社トーハンのハンコを押す寸前になって、やめたのも小心者の勘から。トーハンに行ったら、あなたが秋田の無明舎さんですかって、口座もすぐ開けると。ホテルに戻って眠れなかった。トーハンや日販と仕事するということは全国区になるということ。自分は気まぐれでわがままなので、さまざまなルール、ノルマをきちんとこなせない、コンスタントに本を出さないと入金が滞ることに耐えられなくなると思いました。地方・小出版流通センターだと注文がきたものを捌(さば)いてくれるだけで余剰なものはない。

 秋田で本を出すのは、全国で本を売りたいためではない。ここに生まれて住んでいて、出版という仕事で生きてきただけ。秋田では出版という仕事で飯を食っている人はいないけれども、俺は食ってみせるぞ、というプライドで生きてきただけ。

 インターネット台頭以前の秋田では、秋田魁新報さんはメディアとして今以上に強力でした。放送局も傘下におさめて。魁に載らないと起きなかった出来事になってしまう、魁に載ると、こういう人物がいてこういうことをしているんだと皆が知ることができる。一匹狼の自分は、魁と距離を置くことしか生き延びる道はないと思っていた。俺は泣き言は言わないでやることをやり続けるしかなかった。


出版とは、編集とは


 僕が始めた頃は「出版」「編集」という仕事がなんなのかも秋田ではろくに理解されていませんでした。本にしたら売れるだろう人はいても、プロの書き手ではないから依頼をしても無理なんですよ。死ぬまでに書けたらいいですね、と返事が返ってくるだけ。

 なんとかならないかなと思って、30年以上「んだんだ通信」「んだんだ劇場」という冊子やウェブを続けているんです。毎月、県内外の面白い人たちに原稿を書いていただき、1年以上たったら一冊にする。ちょっとずつ書いてねって。単行本になる際には印税を払います。一番刊行点数の多かった90年代に出した本の8割以上はこの方法でした。それを見て、似たような原稿を書いているけれども自分も出したいという話をいただきます。自費出版ですよね。その連環が非常にうまくいって。150部くらい小冊子を作って配布はせず自分たち用です。原稿を集めるにはそれしかなかったんです。

厳しい採算分岐点


 これまで出した1200冊の本は一冊一冊条件が違います。著者の方と交渉します。秋田とか東北の市場を僕は徹底的に知っているつもりだから、これくらいずつ売れるというのは10部単位で分かる。その感覚は、他人にうまく説明できません。ここ10年、20年は自費出版に比重がシフトしていて、今は8割近くが費用を出していただく企画。こちらで費用をもつ企画の採算分岐点は部数でいうと初版1500部。在庫があるかぎり、営業・宣伝を続け完売させます。2000部売れないと印税を払えないというのは、無明舎出版だけの事情ではなくて、印刷費はどこの出版でも一緒。地方出版はかなり困難な局面にいます。

初心と変わらない今の気持ち


①秋田至上主義にならない。
②貧乏自慢をしない。苦しいのは最初からわかっているから。むしろ見栄をはって生きてきたところがあるから。
③社員を4人以上にしない。

 定年退職をしたら何をしますかと聞かれたら、本を読んで、映画を見て、興味があることを取材して原稿を書いて本にして。三昧ができたらなと。そしたら今もやってるなと(笑)。自然に優先順位を付けたらこの生き方です。もちろんデジタルイノベーションのことも分かるけれど、僕は毎日紙の本を読んで、不自由を感じない。世の中がこうですよって言われても。でも自分がデジタルのデバイスで読んでいたら、変えなくちゃいけないなって。思想でもなんでもなくて、普段やっていることだから。俺は自分で決めるから。

 切実感がないとだめでしょ。


(聞き手:熊谷新子)

ロングセラーのひとつ、山形県酒田市出身の俳優、成田三樹夫さんの遺稿句集『鯨の目』(1991年)。「平野甲賀さんによるデザインで活版印刷で刊行されました。4刷からはこの仕様で2800円では出せなくなり、平野さんの書体を使わせていただき新装版は自分で装幀しました」


●安倍甲(あんばい・こう、本名あべ・はじめ)
1949年、湯沢市生まれ。湯沢高校卒業後、秋田大学教育学部入学。在学中の72年に大学の前で古書と学習塾と企画の「無明舎」を旗揚げ。大学を中退し76年、秋田市の放浪芸人の半生をルポした『中島のてっちゃ』を執筆、出版。これを機に出版専業の有限会社「無明舎出版」に改組、代表取締役に。あんばいこう名義での著書多数。
http://www.mumyosha.co.jp/

●写真:藤田一浩(ふじた・かずひろ)
1969年、秋田市生まれ。写真家。大阪芸術大学写真学科卒業。文化出版局写真部、中込一賀氏のアシスタントを経て、97年渡仏。2000年帰国。ファッション、ポートレート、風景、静物などの撮影を手がける。
http://kazuhirofujita.com

お気に入りに登録
シェアする

秋田魁新報(紙の新聞)は購読中ですか

紙の新聞を購読中です

秋田魁新報を定期購読中なら、新聞併読コース(新聞購読料+月額330円)がお得です。

新聞は購読していません

購読してなくてもウェブコースに登録すると、記事を読むことができます。

秋田の最新ニュース