夏の風物詩・鹿島流しを訪ねる(7)生きている祭り 石塚[横手市]

新あきたよもやま:小松和彦


鹿島流しは「子どもの祭り」か


鹿島流しの特徴の一つに子どもたちが主体となっている地域が多いことがあげられる。大仙市大保は子供会が中心となって行う祭りであり、横手市末野でも2018年までショウキサマ作りは町内会、鹿島流しは子供会という役割分担があった。同市藤巻ではかつて行事の目的の一つが「男の子の健やかな成長を願う」ことであった。カシマニンギョウにお供えされたお菓子を子どもたちで分け合うことも多い。そういったことから鹿島流しは「子どもの祭り」というイメージが強い。

では、元々からそうであったのかといえば、必ずしもそうとは言い切れない。むしろ、子どもの祭りになったのは戦後という地域が多いのだ。

子どもが支えた伝統行事


古くから秋田県内各地に伝えられていた鹿島流しの風習は、戦後になって多くの地域で行われなくなった。その中で存続、または復活した地域をみると、子供会などの活動と結びついた事例が多い。

毎年6月下旬に行われている大仙市大曲の鹿島流しは、戦前は各家でカシマニンギョウを作り、鹿島船に載せて町中を練り歩いていたが、戦後に衰退。昭和39年から大曲小学校のPTA活動の一環として、学芸的行事として復活した(※10)。

秋田市川尻では町を上げて開催していた鹿島流しが昭和30年代に行政指導によって中止になり、その後まもなく子供会の行事として復活している(※11)。

横手市の大森町内では昭和の初めころまで若者たちが鹿島船を担いで周っていたが、「日頃のうっぷんをはらす」ために特定の家に突入し大損害を与えるなどの騒ぎや、村同士の喧嘩といった問題が絶えなくなって廃止に。その代わり「鹿島大明神」や「武甕槌(たけみかづち)大神」と彫った石塔を置いた。戦後しばらくしてから、商工会の肝いりで親子会の行事として復活したという(※12)。

大森町昼川にある「武甕槌大神」(鹿島神)の石碑(昭和10年建立)


子供会が祭りの主体となった集落では現在、少子化によって存続の危機に直面している。実際にこの数年で行われなくなった地域もあるのだ。

ミニマム道祖神の謎


横手市雄物川町の中心的な商業地である沼館地区では、毎年夏になるといくつかの店舗でカシマニンギョウが店頭で売られている。そのうちの1軒の商店を訪ねた。


店頭には「かしま600円」の貼り紙と共にカシマニンギョウが売られている。店員の女性に地元の鹿島流しについて話を聞くと、「この辺りではみんなやめてしまった。この町でもちょっと前までは大々的にやっていたんだよ」と言う。

新型コロナの感染拡大によって中止になったのかと聞くと、「その前から」だという。子どもの数が減って、開催できなくなったというのだ。

しかし、石塚という集落だけは今も鹿島流しをやっているという。最近はその村の人たちがカシマニンギョウを買いに来るそうだ。

横手市雄物川町にある石塚集落は沼館から東に約2キロ、四方を田んぼに囲まれた約80軒の集落である。こちらでは末野や藤巻と同様、道祖神の「鹿島立て」と「鹿島流し」が両方行われている。村境の橋のたもとに、藁人形のカシマサマが立っている。それは藁人形の道祖神としては県内最小の60〜70センチ。カシマサマというよりカシマニンギョウのサイズ感だ。ちなみに最大は同じ横手市にある田代沢のカシマサマ、高さ4.5メートルである。

石塚のカシマサマ(2021年撮影)


石塚のカシマサマは小さくとも個性的で手の込んだ作りだ。どうしてこんなミニマムな道祖神を祭っているのか、以前から気になっていた。その謎を解明するためにも、ここで行われる行事を取材しなければと思った。

「カシマ」コールに包まれて


石塚の鹿島行事「鹿島送り」はかつて旧暦の6月10日に開催されていたが、近年は7月下旬の人が集まりやすい日を選んでいる。今年は7月23日に行われた。

この日はあいにくの雨だった。夕方、村の神社の隣にある集会所には、たくさんの子どもやその親たちが集まっている。1台の幌の付いたトラックが停まっており、その後ろには橋のたもとに立てられる藁人形のカシマサマが括りつけてあった。昨年の人形は「忍者」がモチーフだったが、今年は顔に隈取を施した「歌舞伎役者」である。


この人形を制作したのは親子会のリーダーを務める藤田友広さん(昭和51年生まれ)。この集落の鹿島流しでは各家から集めたカシマニンギョウを村境の河原で焼いているが、その際に1体だけ流さずに「悪いものが入ってこないように」立てておく風習があるという。現在、各家で用意する人形は沼館の商店などで買い求めたものだが、立てる人形は昔ながらの藁人形で、毎年有志によって作られるという。藤田さんは昨年に続き、2度目の人形担当だ。


午後5時、小雨が降る中、祭りはスタート。子どもたちとその親たち、約30名が村を練り歩く。藤田さんが運転するトラックの荷台に子どもたちが4人座り、太鼓を乱打しながら「カーシーマ!カーシーマ!」とひたすら連呼する。沿道の家から住民の方が出てきてカシマニンギョウを奉納すると、缶ジュース2本をお返しにいただく。とてもシンプルだが、子どもたちの熱気が集落全体を包み込んでいるような、心温まる祭りだ。

カシマサマのおかげ


出発してから約40分後、一行は村境の弥兵堰にかかる橋に到着した。昔はここから堰に流していたが、今は燃やしてから灰を流している。自分で作ったカシマニンギョウを焼くのがもったいなくて、持ち帰っていく子どもの姿もあった。藤田さんはお手製のカシマサマを橋の脇のガードレールに設置。その後ろでは、1年間村を守ってくれたカシマサマが、カシマニンギョウと一緒に燃やされていた。


近隣の集落で鹿島流しをやめていく中で、石塚が元気に続けられているのは、子どもがまだたくさんいるからだ。どうしてこの村には子どもが多いのか、藤田さんに尋ねると「やっぱりカシマサマがいるから」と笑って答えられた。

この日、参加した30名の中で藤田さんが最年長だ。子どもたちだけでなく、若い親たちも積極的に参加している。伝統行事というだけではない「生きている祭り」だ。かつては各地の鹿島流しで見られたこうした光景が、現在では希少なものとなってしまった。

おわりにかえて

 

「厄を背負わせた人形を集落の外へと送り出す」という呪術的な民間信仰が、地域によって「虫除け」や「豊漁」といった願いを込めた個性あふれる行事として伝えられている鹿島流し。古くから続く秋田の夏の風物詩として、後世に残したい貴重な伝統行事だ。

しかし今、存続の危機に直面している地域も多い。児童数の減少とともにやめていく事例は今後も増えていくだろう。そんな中、行事の担い手を子供会から町内会へ移行し、さらにイベント性も持たせながら年々盛り上がりを見せていく末野の鹿島流しは、まさに未来へと繋がる試みだ。

また、新型コロナウイルスの感染拡大により、3年以上中断している地域がいくつもある。来年以降、これらの行事が復活するのか、注目していきたい。

私の「カシマの旅」はまだまだ続きそうだ。


取材では各集落の皆様の他、五十嵐祐介様、佐々木茂様、多賀糸尊様、冨岡慎太郎様にご協力を賜りました。心より感謝の意を表します。

※10『祭礼行事・秋田県』(桜楓社、平成4年)
※11『秋田の鹿嶋祭り調査報告書』(秋田市立赤れんが郷土館、平成7年)
※12『大森町郷土史』(大森町、昭和56年)

夏の風物詩・鹿島流しを訪ねる(6)川と共に生きる 大保[大仙市]

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