時代を語る・関登美子(27)違和感覚え桟敷退団
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天井桟敷の舞台出演は昭和49(1974)年7月、法政大で上演された「盲人書簡 上海篇」が最後だったと記憶しています。
その後は少しずつ距離を置くようになった。きっかけの一つは市街劇のワークショップ。街中の日常を非日常の劇的空間に広げるといった趣旨で、屋外での活動が増え、お芝居の方向性が変わり始めたと感じたの。作品の内容もエンターテインメントというより、なんだか観念的で難しくなった印象を持った。それまで抱いてきた桟敷の世界観との間に差が生まれ、肌に合わなくなってきた。
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