新あきたよもやま:秋田美人誕生(3)~創成期の川反花街

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旭川の川岸に料理屋が立ち並ぶかつて川反の風景

大火と疫病のダブルパンチ


明治19年(1886)4月、現在の川反4丁目付近から出火した火災により秋田町の半分近くが焼失し、八橋村、寺内村まで燃え広がった。約3500戸を焼いたという秋田県史上最大の火災は俵屋火事と呼ばれ、下米町遊廓もこれによって灰燼(かいじん)に帰す。同年、コレラや天然痘も大流行し、秋田町は大火と疫病というダブルパンチを受けた。

近代都市において遊廓は地域経済を潤すコンテンツの一つであり、新たなまちづくりの重要な起爆剤であった。全国大小さまざまな町で遊廓が焼けた後には移転問題が持ち上がり、新たな「新開地」ができた。秋田町でも、まさにこの大火を契機に、遊廓移転が実行されることになる。

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